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佐野元春は早すぎたB-BOYだった? 名盤『VISITORS』のラップが古びない理由
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佐野元春は早すぎたB-BOYだった? 名盤『VISITORS』のラップが古びない理由
当時の佐野元春は、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。1982年に発表した3作目のアルバム『SOMEDAY』がじわじわ... 当時の佐野元春は、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。1982年に発表した3作目のアルバム『SOMEDAY』がじわじわと売れ続け、1年がかりで行った全国ツアーも軒並みソールドアウト。翌1983年のベスト・アルバム『No Damage』もオリコンチャートで1位を獲得し、日本のロックの頂点に登り詰めました。しかし、彼は絶頂期にもかかわらず、果敢にも単身ニューヨークに渡り、音楽修行を敢行するのです。 そして、1年後に日本の音楽シーンに帰ってきたときに発表したのが、この『VISITORS』でした。それまでの彼の作風は、バディ・ホリーからブルース・スプリングスティーンにいたる数々のロック・レジェンドたちからの影響を受けた、どこか懐かしいサウンドを散りばめたロックンロールがメインでした。しかし、『VISITORS』ではその指向性ががらりと変化。同時代のニューヨーク・サウンドを吸収し、ストリート感覚に溢れたロック