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【池原照雄の単眼複眼】鈴木修会長、軽自動車を存亡の危機から救ったもうひとつの偉業 | レスポンス(Response.jp)
社長就任の翌1979年に47万円で送り出した“救世主”スズキの鈴木修会長(91)が6月の株主総会で会長から相... 社長就任の翌1979年に47万円で送り出した“救世主”スズキの鈴木修会長(91)が6月の株主総会で会長から相談役になる。1978年(昭和53年)の社長就任から43年もの間、スズキのみならず自動車産業をけん引した名経営者が第一線から退く。鈴木会長といえば、まずインド市場の先駆者と称されるが、それ以上に評価されるべき、もうひとつの足跡がある。日本独自の車両規格である軽自動車の「育ての親」という偉業だ。 軽自動車は近年、年間180万台規模がコンスタントに販売され、日本の新車需要の3台に1台余りを占めている。幅広い年代層に支持され、とりわけ公共交通機関が乏しい地方部には不可欠な国民の足だ。乗車定員は4人まで、エンジン排気量は660ccまでといった制限はあるものの、登録車との比較では税負担の軽さや取り回しの良さなどが大きな魅力となっている。 安定市場が定着した軽自動車だが、1960年代からの日本のモ
2021/03/01 リンク