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『「なんで英語やるの?」の戦後史』 | 荒野に向かって、吼えない…
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『「なんで英語やるの?」の戦後史』 | 荒野に向かって、吼えない…
寺沢拓敬著 『「なんで英語やるの?」の戦後史 <国民教育>としての英語、その伝統の成立過程』 この... 寺沢拓敬著 『「なんで英語やるの?」の戦後史 <国民教育>としての英語、その伝統の成立過程』 この文章を読んでいるあなたは何歳だろうか。日本の公立学校で教育を受けたとしたら、ほとんどの人が中学時代に英語を学んだはずだ。あるいはすでに、小学校で英語の授業があったという人もいるだろう。 僕は1970年代後半生まれだが、同世代で中学に上って英語の授業が始まることに不安や不満を覚えた人はいるかもしれないが、なぜ中学生になったら英語を学ばなければならないのかについて根本的な疑問を抱いたことがあったという人はごく少数だったのではないだろうか。それほど当たり前のこととして、英語というのは(強制的に)学ばねばならないのだという考えが内面化していたし、僕より若い世代にとってはなおさらそうだろう。 「まえがき」にこうある。「そもそもいつから、全員が英語をやるルールになったかご存知でしょうか」。これを「英語が