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日本人傭兵を買い漁った西洋と東南アジア諸国の背景を考える
前回の記事で、イエズス会の宣教師として来日していたルイス・フロイスが、太閤秀吉の言葉として「商用... 前回の記事で、イエズス会の宣教師として来日していたルイス・フロイスが、太閤秀吉の言葉として「商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行している」と記していることを書いた。 またシャム国では、日本人武士を買って傭兵として用いる強いニーズがあり、山田長政はその日本人傭兵部隊を率いて国王の信任を得て活躍したのだが、他の国も同様に日本人兵士のニーズが高かったようだ。 あまり知らなかったのだが、秀吉が『伴天連追放令』を出した天正15年(1587)の後も、日本人が奴隷として売買される時代が長く続いたようである。 『ナチュラリストの散歩道』というブログの、「戦国九州奴隷貿易の真相に迫る(4)」に、1605年に出されたポルトガルの公文書が紹介されているので引用させていただく。 「
2017/11/22 リンク