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島原の乱を江戸幕府はどうやって終息させたのか
島原の乱が、単純な百姓一揆とは異なる重大事件であったことは前回まで縷々記してきたが、では江戸幕府... 島原の乱が、単純な百姓一揆とは異なる重大事件であったことは前回まで縷々記してきたが、では江戸幕府は、大量の鉄砲と弾薬を持って立て籠もった「一揆勢」をどうやって鎮圧したのであろうか。 前々回の記事で、オランダが「一揆勢」が籠城している原城に向かって艦砲射撃を行なって幕府に協力したことを書いたが、一揆鎮圧のために外国の援助を求めることについては熊本藩主・細川忠利らから批判があったようだ。 しかし、熊本藩の記録『綿考輯録』によると幕府軍の総大将松平信綱は、オランダ船を呼び寄せて砲撃させたのは、『南蛮国』の援軍を心待ちにしていたキリシタン達に対し、同じ『南蛮国』であるオランダから砲撃させて、籠城勢の希望を砕くためであったと答えたという。 確かに、幕府軍が攻め急ぐ理由はなかった。単純に戦力を比較すると「一揆勢」37千人に対し幕府方は125千人もいて、すでに原城を取り囲んでいたのである。 普通に勝負す
2017/11/25 リンク