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歴史は妄想であってはならない(「聖徳太子」表記をめぐる議論)
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歴史は妄想であってはならない(「聖徳太子」表記をめぐる議論)
これは3月20日分の記事として掲載しておきます。新学習指導要領案で、「聖徳太子」について、小学校では... これは3月20日分の記事として掲載しておきます。新学習指導要領案で、「聖徳太子」について、小学校では「聖徳太子(厩戸王)」、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」と表記が変更になる件は、抗議する団体がいたり、国会でも取り上げられたりするなど、一部?で話題になったようです。このブログでも4年前(2013年)に、高校日本史教科書での「聖徳太子」表記の問題を取り上げたことがあります(関連記事)。表題の記事では、「後世、聖徳太子と呼ばれている人物は、生きていた当時はそんな名ではなく、厩戸王だった。だから、歴史教科書では、いわば両論併記で厩戸王(聖徳太子)と書くように変更しようとしたわけです」と指摘されています。 これが「リベラル派」やアンチ「ネトウヨ」派の一般的な認識かどうかは分かりませんが、「厩戸王」も不適切だということは、『聖徳太子 実像と伝説の間』(関連記事)の著者である石井公成氏がブログでも指摘