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「敵を批判する」というスタイルの論文はどういう場合に「失敗」するか? | Theoretical Sociology
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「敵を批判する」というスタイルの論文はどういう場合に「失敗」するか? | Theoretical Sociology
先日、大学院生の論文指導をしていて「え、こんな当たり前のことがわかってないの?」と驚くことがあっ... 先日、大学院生の論文指導をしていて「え、こんな当たり前のことがわかってないの?」と驚くことがあったので、念のために書いておく。 「敵を批判する」というスタイル 私も若いころ似たようなアドバイスを何度も聞いたことがあるのだが、 もっと、論敵をはっきりさせたほうがいいよ。その敵をしっかり批判すれば、何が言いたいのか、自分の主張がはっきりするし、その研究を乗り越えていることがはっきりするので、オリジナリティも示せるから。 といった感じのアドバイスをする社会学者が今でもけっこういるらしい。しかし、私自身は自分の身分が安定するまで論文の中で敵を明示したうえで批判するということはしてこなかった。身分が安定した後も、ほとんどそのようなことはしていないと思う。口頭で悪口を言うことはたまにあるのだが、論文の中では特定の研究を攻撃することは避けている。それは攻撃型の研究は、研究成果の平均的な評価を引き下げる恐