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教師「自分が在日朝鮮人でないことを説明しなさい」 昭和の在日差別の実態|中川淳一郎:連載
在日コリアンに対するヘイトスピーチデモが各地で展開されるようになって久しいが、昭和の時代にこうし... 在日コリアンに対するヘイトスピーチデモが各地で展開されるようになって久しいが、昭和の時代にこうした風潮の萌芽はあったのでは、と思う。何しろ小学校、中学校で「チョーセンジン」に対する妙な恐れと差別は蔓延したのだから。 私が小学校5年生から中学2年生までを過ごした東京都立川市には朝鮮学校(西東京朝鮮第一初中級学校)が存在する。私が通っていた立川第六中学は私の在籍する数年前まで立川市内屈指の「荒れた中学」とされており、立川市内でもっとも戦闘力が高いとされていた立川第二中学との抗争を続けていたという。だが、私が通った頃はすっかり牙も抜け、戦闘力は二中の後塵を拝していた。 そんな中、傍観者として六中生が胸を躍らせていたのが「二中VS朝鮮中学」である。二中の戦闘力の高さは伝説のごとき形で伝わっていたが、朝鮮中学は「何をしでかすか分からない」という恐ろしい感情を六中生は持っていた。彼らは朝鮮中学のことを
2018/03/06 リンク