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戦後日本の原子力発電計画に対する一人の米国人物理学者の諌言*1 - バイナフ自由通信
※[転送・転載歓迎・拡散希望] このコンテンツは、「原発ダイアリー」でご紹介したものです。 (川本 稔... ※[転送・転載歓迎・拡散希望] このコンテンツは、「原発ダイアリー」でご紹介したものです。 (川本 稔 2011年4月8日) 1957年、私は当時の岸内閣の経済閣僚であった高崎達之助氏の命を受け、原子力の平和利用の現状視察のため同僚と二人でアメリカへ渡った。 当時日本の原子力に対する一般認識が低く、原子力=原子爆弾と云う域を余り出ていなかったと思う。原子力の平和利用については、まったくという程一般知識が欠けていた。勿論私も例外ではなかった。 そのような時代に私は、アメリカの代表的な原子力発電施設や原子力研究所の幾つかをつぶさに見ることができ、極めて充実した希望の毎日を送っていた。そして旅程の最後にテネシー州にあるオークリッジ国立研究所(Oak Ridge National Laboratory)を訪問したときほど深い感銘をうけたことがなかった。そこで初めて、原子力開発自体に極めて根本的な問
2011/04/09 リンク