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「首」賭けたウォークマン開発秘話
ウォークマンは1979年2月、盛田昭夫会長(当時)から「大学の夏休み前に発売しよう」と言われ、わずか4... ウォークマンは1979年2月、盛田昭夫会長(当時)から「大学の夏休み前に発売しよう」と言われ、わずか4カ月で開発しました。録音できないただの再生機なんて売れっこないと直属の上司をはじめ社内のあちこちから中傷され、つらかった。あまりにも四面楚歌なので設計の仲間と、「本当に売れなかったら東芝か松下電器産業にでも入るか」と話したほど。しかし幸い、“上の上”が味方についていた。盛田さんが「俺が会長の首を賭ける。売れなかったら辞めてもいい」と言ってくれたのです。百万人の味方を得た気持ちです。 ところが発売当初はまったく売れない。グループ販社も系列専門店のソニーショップも「こんな半端物」と見向きもしません。唯一、丸井の新宿店にいた三十何歳の仕入れ担当の方だけが「これは売れる」とまとめて注文してくれました。あの恩は忘れません。その後ウォークマンは大ヒット。年末商戦期には一転、品薄状態になりましたが、恩義