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モノより思い出ではなく、モノ=思い出に
「モノ>思い出」⇒「モノ<思い出」に? モノより思い出。 ある車のCMで使われたキャッチコピーです。... 「モノ>思い出」⇒「モノ<思い出」に? モノより思い出。 ある車のCMで使われたキャッチコピーです。 モノにあふれた時代のモノが売れなくなってきている現実を的確にとらえた言葉といえます。第1回の連載でも紹介した「モノ消費からコト消費へ」なども、同じ背景から生まれた言葉です。この言葉だけとらえれば、「モノ>思い出」だったものが、「モノ<思い出」に変わってきているといえます。はたしてモノの価値は、思い出の価値を下回るものになってしまったのでしょうか? そもそも、モノと思い出の関係は、大小の関係性で語られるべきものではありません。多くの場合、思い出にはモノが必要ですし、モノを大事に思うことでモノ自身にも思い出が宿るはずです。思い出とモノは対立関係ではなく、補完関係のはずなのです。 そして、この補完関係をつくるためにいちばん必要なのは、「コミュニケーション」です。しかし、この「コミュニケーション」
2014/03/13 リンク