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日航機墜落現場を写した私の忘れられない記憶
1985年8月12日、日本航空JAL123便が御巣鷹山に墜落してからまもなく35年、またあの暑い夏がやってきた。... 1985年8月12日、日本航空JAL123便が御巣鷹山に墜落してからまもなく35年、またあの暑い夏がやってきた。 ご遺族の方々にとっては、また悲しみの夏である。昭和という時代の出来事の中では戦後の大きなニュースになったことは言うまでもない。一方、この時間軸の歳月が、この事故を私たちの記憶の中から少しずつ忘れさせているとしても、それは仕方のないことなのかもしれない。その時間で癒やされていった方々もいるのだろうが、最愛の方を失った悲しみは今も癒えないと察する。いまだ、墜落の原因は諸説あり、多くの書籍も刊行されている。 そんな中、当時の現場を取材した身として私の記憶と記録としての当時の写真を残しておきたい。 35年前、私は新潮社『FOCUS』誌の契約カメラマンとして、生存者のいる事故現場にいち早く到着した。当時31歳だった。 東京から車で南相木村へ あの日、初めての合併号で夏休みであったが、私は