![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8f82c7c0edc1b235c8aeb0a1edfe9418d16c81f5/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ftk.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F8%2Fd%2F1200w%2Fimg_8dc1c0bd8fbe344d2aa4b948b398a377273016.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
聡明ゆえ迷走?批判多い「徳川慶喜」不憫な境遇
慶喜は国際感覚を持った開国派だった 尊王攘夷思想の先駆けともいわれ、「烈公」と呼ばれるほど荒々しい... 慶喜は国際感覚を持った開国派だった 尊王攘夷思想の先駆けともいわれ、「烈公」と呼ばれるほど荒々しい気性の斉昭を父に持つ、徳川慶喜。幼少期から聡明ぶりを発揮したこともあり、攘夷の旗手としてもてはやされ、「次期将軍に」と期待され続けた。そんな中、何をしても政治利用されることから、慶喜は、言動には慎重にならざるをえなかった。 だが、激情タイプだった父が亡くなると、もはや遠慮はいらなかった。将軍後見職に就いた慶喜は、この国の行く末について、自分の思いをようやく明らかにする。 「世界万国が天地の公道に基づいて互いに交誼を図っている今日、わが国だけが鎖国の旧習を守るべきではない」 鎖国をするべきではない――。まさかの開国派宣言である。 一方で、朝廷が唱えるのは、あくまでも「破約攘夷」。つまり、日米和親条約と日米修好通商条約を破棄して、相手が報復してきたら、それを討つというものである。 国力の差を踏まえ
2021/05/10 リンク