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ウクライナ戦争への導線・言語問題を無視するな
皮肉だが、ある意味かつての大帝国はこの問題を、対立なく治める手立てをもっていた。帝国は国王に絶対... 皮肉だが、ある意味かつての大帝国はこの問題を、対立なく治める手立てをもっていた。帝国は国王に絶対的主権が集中することで、各民族の独立どころか、国王と同じ言語をもつ人々の政治的権利も剥奪されていた。だからこそ、言語問題が生じ始めたのは、独立と民主主義の発展と関係しているともいえる。 例えばオーストリア=ハプスブルク帝国の中に存在する民族は、その中のエリートである領主を除けば、宗主国の言語であるドイツ語を話す必要はなかったわけで、民族独立運動が起こるのはそれぞれの民族の独立が叫ばれ、なおかつその民族の政治が民主化される過程であり、そのときに初めて言語問題が生じてきたといえる。1897年のバデーニ言語令がその典型である。 19世紀末のオーストリア=ハプスブルク帝国で、それを構成する各民族の教育や言語の権利が高じて来た。そのような中、当時の首相バデーニ(1846~1909年)が公用語に関連して発し