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バブル崩壊「総量規制」がもたらした大衝撃の記憶
総量規制が報じられた当初は、メディアからは「遅すぎる」「効果は疑問」などと酷評されたが、実際は強... 総量規制が報じられた当初は、メディアからは「遅すぎる」「効果は疑問」などと酷評されたが、実際は強烈な効果を発揮し、逆回転した歯車は、予想以上のスピードで回りはじめた。日銀の一気呵成の引締策とも相まって、あらゆる資産価値が雪崩を打ったように下落していき、土地バブルは崩壊した。 総量規制の抜け道だった住専 しかし、この総量規制には抜け道があった。住専(住宅金融専門会社)と農協系金融機関(農水省所管)を行政指導の対象外としたため、これら機関による迂回融資が激増して、融資残高は巨大化した。後に、その多くは不良債権化し、住専の経営悪化へとつながる。総量規制は銀行法に基づく行政指導であり、翌1991年の12月20日まで、1年9カ月間続いた。 住専が大量に引き受けた不動産向け融資は、その後、地価が下落に転じると住専への返済が滞ると同時に、資金提供元の大銀行からの返済要求も強まって、住専は進退窮まった。