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関ヶ原直前!大名の心摑んだ「家康の手紙」の威力
三成と戦うにあたって「豊臣恩顧の大名も自分に味方している」ということは、非常に重要なメッセージと... 三成と戦うにあたって「豊臣恩顧の大名も自分に味方している」ということは、非常に重要なメッセージとなる。政宗に対して、「私についたほうがよいぞ」と暗に示すのに、これ以上の方法はないだろう。 約1カ月も江戸城にこもったワケ 8月5日には江戸に戻った家康だったが、9月1日の出陣まで、実に約1カ月も江戸城にとどまっている。 その一方で、3万の徳川主力軍は息子の秀忠に任せて、上方へと向かわせた。豊臣武将たちが裏切ることなく合流して、ともに三成と戦うかどうかを、江戸で様子を見ていたのだろう。家康としては、小山評定で決まったとおりに、武将たちが動いてくれるかどうかを確認したかったのだと思われる。 そうして豊臣恩顧の大名たちの本心を見極めながら、家康はこの間に、全国の諸大名に書状を書いて送っている。作成自体は右筆が行っているので、頭のなかで考えた文面のニュアンスを細かく伝えながら、書状を完成させていったの