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(一社)鶉野平和祈念の碑苑保存会・鶉野飛行場資料館
「鶉野飛行場」は昭和18年10月、兵庫県加西市(当時は加西郡)の南東部、鶉野台地にパイロットを養... 「鶉野飛行場」は昭和18年10月、兵庫県加西市(当時は加西郡)の南東部、鶉野台地にパイロットを養成するための「姫路海軍航空隊」が開隊されたことに始まります。翌年、川西航空機鶉野工場が併設され、姫路製作所で生産された局地戦闘機「紫電」「紫電改」が再組立されました。昭和20年には神風特別攻撃隊「白鷺隊」が編成され、沖縄戦のために出撃し、前途有望な若者が大空に散っていきました。終戦までのわずか2年に満たない時間の中で、青春をかけた多くの若者の姿があったのです。 戦後、地元の人々は総称して「鶉野飛行場」と呼んでおり、現在も長さ1200メートルの滑走路跡をはじめ防空壕、対空機銃座など数多くの戦争遺跡が残されている全国でも珍しい場所です。しかし、鶉野に関する資料は終戦直後、そのほとんどが焼却処分され、半世紀もの間、多くの人々の記憶から忘れ去られていました。私共は25年以上にわたり、航空隊をはじめ関係者