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高校闘争50年、『1969 それぞれの記憶』 - 菊地史彦|論座アーカイブ
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高校闘争50年、『1969 それぞれの記憶』 - 菊地史彦|論座アーカイブ
高校闘争50年、『1969 それぞれの記憶』 菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュ... 高校闘争50年、『1969 それぞれの記憶』 菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師 1. 半世紀前の記憶をつなげる 1960年代の「異議申し立て」がピークを迎えたのは1968年である。「1968」に向かってあらゆる反体制運動が急坂を駆けのぼっていった。 だが、当時の(私を含めた)高校生たちの正念場は「1969」だった。1966年から1968年にかけて盛り上がった「全国学園闘争」は主に大学の出来事であって、多少そっちの気配のある高校生でも、まだ指を加えて見ているしかない隣の火事だった。 その「火事」がこちらへ燃え広がったのは1969年の春である。3月に各地で起きた「卒業式粉砕闘争」が発火点になった。4月~6月の一連の街頭行動にはこれまでにない数の高校生が参加した。そして夏休み明けから本格的な学内活動が始まる。10月以後は、毎週のように高校のバリ