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夜光虫 (小泉 八雲)
『Shadowings(「影」)』(1900・明治33年)に所収。 この作品の海は、ハーンが好んだ静岡・焼津の盂蘭盆... 『Shadowings(「影」)』(1900・明治33年)に所収。 この作品の海は、ハーンが好んだ静岡・焼津の盂蘭盆の頃の夜の海のようだ。夜空にきらめく無数の星屑、そして海に浮かんでいるハーンの体の廻りをまたたいて流れゆくおびただしい燐光体……。こうして東洋の海に浮かんで、夜の空と海の輝きを眺めている自分とは何か。生きてゆくとは、そしてどこへゆくのか。「私は夜光虫の一匹(ひとつ)である」。私たちは過去から集められ、また必然的に融解して、底なしの淵へと融け去らなければならない光ではないのか。 「博多にて」の銅鏡のモティーフにも通じていて、スペンサーの進化論と仏教の輪廻観の融合がなされているようであり、昂揚感がある。音や動作の表現がほとんどなく、色の意義づけや色彩に集約される表現や思考が特徴的である。存在の色彩論ともいえるか。(林田清明)