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72年の時を越え 函館からの贈り物 白球と米が結ぶ縁:朝日新聞デジタル
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72年の時を越え 函館からの贈り物 白球と米が結ぶ縁:朝日新聞デジタル
山形東(山形県)のマネジャー山本万葉さん(3年)は、5月中旬の栄養講習会の開始前、スポーツトレー... 山形東(山形県)のマネジャー山本万葉さん(3年)は、5月中旬の栄養講習会の開始前、スポーツトレーナーの沼田尚(ひさし)さん(37)が米を差し入れてくれたと聞いて、そう話しかけた。会議室の机の上には茶色のずっしりした米袋。30キロの米がつまっていた。 70年以上の時を越えた「函館」からの贈り物だ。 ◇ 始まりは1946(昭和21)年のことだ。戦後初めて開かれた全国中等学校優勝野球大会(現・全国高校野球選手権大会)。代表19校の1校が旧制山形中学(現・山形東)だった。 大会3日目、初戦の相手は旧制函館中学(現・函館中部)。結果は5―13で山形中が敗れた。 敗戦直後で食糧難の時代。各校は自分たちが食べる米を持参していた。米どころらしく、山形中は、たくさんの米を持ち込んでいた。早々に帰郷が決まり、「自分たちは帰るから、函館中に米を持っていこうかとなった」と当時の主将、渡部盛雄さん(89)は振り返る