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「空襲から逃げるな火を消せ」の時代 戦争にあらがった議員の生涯:朝日新聞デジタル
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「空襲から逃げるな火を消せ」の時代 戦争にあらがった議員の生涯:朝日新聞デジタル
【栃木】2時間半の空爆で10万人の命が奪われた東京大空襲の翌日だった。1945年3月11日の帝国議会。貴族... 【栃木】2時間半の空爆で10万人の命が奪われた東京大空襲の翌日だった。1945年3月11日の帝国議会。貴族院議員の大河内輝耕(きこう、1878~1955)が政府の責任をただした。 「疎開をずっと前から主張していた。疎開する者は非国民と言い出し、ぐずぐずしているから、こういう始末になった」。同14日の秘密会議でも追及した。 「次は東京が全部やられるかもしれぬ。人を助けるか、物を助けるか。火は消さなくてもいいから逃げろと言っていただきたい」 空襲は怖くない。逃げるな火を消せ――。政府は国民の命よりも戦争遂行を優先した。住民同士を監視させ、避難を許さなかった。さらに日米開戦2週間前に防空法を改正し、罰則を伴う法的義務を課していた。 この防空法制は2008年提訴の大阪空襲訴訟で問題にされた。犠牲者を増やしたのは国に責任があるとする主張を裏付けるため、原告側は大河内質問の議事録を証拠提出した。当時の