![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/bec840e79b913c820f31b95a9384d3855bde8a62/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimgopt.asahi.com%2Fogp%2FAS20240110002138_comm.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
安曇節は発祥地で歌い継がれ100年 改良重ねて生まれた二つの調べ:朝日新聞デジタル
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
安曇節は発祥地で歌い継がれ100年 改良重ねて生まれた二つの調べ:朝日新聞デジタル
大正期、村人と村出身の医師が手を携えて歌を作った。郷土の伝統をつなぎ、人々の心のよりどころとなる... 大正期、村人と村出身の医師が手を携えて歌を作った。郷土の伝統をつなぎ、人々の心のよりどころとなる歌に育つことを願って。それから100年。信州の村で生まれた民謡「安曇節」は地域を越えて親しまれ、発祥の地で大切に歌い継がれてきた。 「正調」と「豊科調」の存在 かつては東京都内で国語を教えた長野県松本市の元中学教諭、間橋峯男さん(72)には、安曇節にまつわるこんな思い出がある。 「学生時代、私は東京で小中学生を連れ、キャンプや登山をするグループに入っていました。その指導者の人が山岳部で覚えただろう安曇節を下山道で歌っていて、私も覚えました」 間橋さんの思い出には続きがある。 退職後に移り住んだ長野県大町市で安曇節を聞く機会があった。ただ、その調べは覚えていた安曇節と異なるものだった。 どうやら大町市で耳にしたのは「正調」の安曇節。ほかに「豊科調」という安曇節があって「私が覚えたのはそれに近いもの