エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
最相葉月「なんといふ空」 優れたエッセイは純文学たりえる事を知る - 或る物書きの英語喉と小説まみれのジャズな日々
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
最相葉月「なんといふ空」 優れたエッセイは純文学たりえる事を知る - 或る物書きの英語喉と小説まみれのジャズな日々
ノンフィクション作家最相葉月のこのエッセイ集のタイトルは、自由律俳句の種田山頭火の「なんといふ空... ノンフィクション作家最相葉月のこのエッセイ集のタイトルは、自由律俳句の種田山頭火の「なんといふ空がなごやかな柚子の二つ三つ」にちなんだものだ。その言葉の選び方には、素晴らしいセンスを感じる。 ~48編のエッセイは懐かしくも切なく、そして温かい ~ 彼女は小説家ではないが、筆者にとって彼女の書くノンフィクションは、凡庸な小説の何倍も何十倍も「物語」に引き込まれる。 ノンフィクション作家というと落合信彦のように、身体を張ったルポルタージュや、吉村昭のようにストイックな資料収集と現地の調査、生存する関係者へのインタビューで可能な限り再現しようとする記録小説などの印象が強かった筆者は、最相葉月の「絶対音感」を読んでひとかたならぬ衝撃を受けた。 「絶対音感」は彼女の最初のベストセラーだが、題材となる当事者たちの心の中に深く入り込み、当事者の心の光と闇を浮き彫りにする、小説とはまた違う紛れもない「文学