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なぜテレビは「差別表現」のルールを作れない?"代表"なくして視聴なし 後編
本記事は「エンタメの政治「代表なくして視聴なし」の後編となっている。前編を読んでいない方はそちらを先... 本記事は「エンタメの政治「代表なくして視聴なし」の後編となっている。前編を読んでいない方はそちらを先に読んでほしい 「女性やマイノリティのレプリゼンテーション改善」と聞くと「はいはい、またポリコレね」「何でもかんでも差別なんでしょ」と嫌気が差してしまう人もいるかもしれない。 日本のテレビ番組で差別表現が炎上するたびに、オンライン上で「これは差別だ!」→「いや、差別の意図はない!」→「社会の強者が差別を定義するな!」→「何でも差別認定するな!」というやりとりが繰り返されるのを私たちは見てきた。この繰り返しを見るたびに、分断の溝が深くなっていくような感覚を覚える人も多いだろう。 間違えてはいけない。差別や偏見を招いてしまう危険な表現が放送されれば、それを批判をしなければならない。一方で、その境界線を引くことが難しい表現も当然出てくるわけだ。 台湾系アメリカ人監督による『ベター・ラック・トゥモロ
2018/03/17 リンク