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データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム
一 軽太子と大郎女 上代に伝承された人物関係の説話には、中央から伊予への下向など人の往来する例が多... 一 軽太子と大郎女 上代に伝承された人物関係の説話には、中央から伊予への下向など人の往来する例が多い。「伊予国風土記」逸文に記す天皇がたの五度にわたる伊予の温泉への来浴、大山積神の摂津から伊予への勧請など(第二節・第三節)。それらの伝承の中で、第一九代允恭天皇の第一皇子であった木梨軽太子と、同母妹の軽大郎女との悲恋物語はとりわけ有名で、『古事記』下巻の允恭天皇条に、一二首の歌謡をもつ歌物語として収める。『書紀』では、允恭天皇条と安康即位前紀条とに、『古事記』の約半分の記事で五首の歌謡を入れて載せている。以下、『古事記』によってそのあらすじを紹介しよう。(資4~7) 父允恭天皇の死後、皇位をつぐことに決まっていた軽太子が、大郎女に密通して歌を詠んだ。 あしひきの 山田を作り 山高み 下樋を走せ 下どひに わがとぶ妹を 下泣きに わが泣く妻を こぞこそは安く肌触れ (〈大意〉山田を作ると、山が
2021/03/03 リンク