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井伊直弼資料及び関連資料 | iimuseum
名もたかき 今宵の月はみちながら 君しをらねハ 事かけて見ゆ 当時の風儀からみるとかなり強烈な艶書と... 名もたかき 今宵の月はみちながら 君しをらねハ 事かけて見ゆ 当時の風儀からみるとかなり強烈な艶書というべきもので、直弼の女性にかかわる恋の手紙としては新発見、唯一のものです。柳王舎主人という雅号からその時期は天保十三年過ぎ、たか女と別れて間もない頃のものと思われます(天保十三年冬には側室静江ができます)。まだ完全に別れきらない状況で、習いごとの費用の面倒もみていたようですが、恋歌を贈りどうも淋しくてはじまらないと嘆いています。 持病の頭痛がひどく、文章中の二字は一応「困苦」と読みましたが「田苦(臀苦・・・痔の隠語)」と解釈した方が文章の前後からは自然です。直弼は痔にも往生していました。茶席に座ることも大変苦痛だったようです。 いろいろ持病に苦しみながらも、女だから慎んで生きるように心配するなど大変気を利かせ、さらには名月によせて彼女を慕う歌の中に「たか」の名を読みこんでいます。なお未練十
2020/09/12 リンク