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【昭和クルマ列伝】ホンダS500のエンジンは「精密時計」 本田宗一郎の怒りが原動力(1/2ページ)
「日本に乗用車メーカーはトヨタと日産だけでいい」 昭和36年5月、通産省は自動車業界の再編案を突如... 「日本に乗用車メーカーはトヨタと日産だけでいい」 昭和36年5月、通産省は自動車業界の再編案を突如として打ち出した。国際競争力をつけるため、当時20社近くあったメーカーの乱立を防ぎ、新規参入を制限するのが目的だ。 これに真正面から反対したのがホンダの創業者、本田宗一郎氏だ。「俺にはクルマをつくる権利がある。自由競争こそが産業を育てるんだ!」 当時、ホンダは四輪車を製造していなかったが、二輪車では「世界のホンダ」として頂点を極めていた。乗用車部門への進出は宗一郎氏の長年の夢だっただけに、再編案への怒りは激しかった。 「この法律ができる前に自動車を造ってしまおう」 宗一郎氏は急遽(きゅうきょ)、スポーツカーや軽トラックの製作を指示。次々と難題を与えるが、開発スタッフは若さと体力で切り抜け、短期間で完成させる。 37年10月開催のモーターショーにホンダ初の普通乗用車となる小型スポーツカーが登場し
2016/11/20 リンク