エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「名を捨てても実を取る」私鉄の気概 VS官設鉄道成長の推進力(1/2ページ)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「名を捨てても実を取る」私鉄の気概 VS官設鉄道成長の推進力(1/2ページ)
大阪-神戸間はJR、阪神、阪急の3社が競う鉄道激戦区だ。官設鉄道を補完するようなかたちで成長した... 大阪-神戸間はJR、阪神、阪急の3社が競う鉄道激戦区だ。官設鉄道を補完するようなかたちで成長したとされる首都圏の私鉄と異なり、関西私鉄は「VS官設鉄道」という対抗意識が成長の原動力となった。「名を捨てても実を取る」-。こうした私鉄の気概が現在でも、JRへの対抗意識として息づいている。 官設鉄道が走る路線に参入を目指していた阪神は難題に直面していた。明治26年に設立した前身の「神阪電気鉄道」が計画した大阪-神戸間の鉄道計画を当時の逓信(ていしん)省が認可しなかったのだ。阪神は妙案で対抗する。当時、道路の上に線路をつくる路面電車は「軌道」として内務省が管轄していた。阪神は鉄道ではなく軌道として特許を申請。路面電車として営業するということにしたのだ。 明治38年の開業区間にはごく一部の軌道区間があったが、実態はほぼ鉄道。軌道という名目で実をとった。 この後、関西各地にこうした「軌道」が乱立。大正