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戦前の北海道・生活図画教育事件とは?
〈問い〉戦前の北海道で弾圧された「生活図画教育」とは? (北海道・一読者) 〈答え〉 生活図画教育... 〈問い〉戦前の北海道で弾圧された「生活図画教育」とは? (北海道・一読者) 〈答え〉 生活図画教育とは、1932~40年、北海道旭川師範学校・熊田満佐吾、旭川中学校・上野成之両教師とその教え子たちが実践した美術教育です。 それは、教え子たちに、身の回りの生活を見つめさせ、題材を選び、自らと現実の生活をより良く変革することをめざす絵の教育でした。しかし、戦争を推し進める国家権力はこうした教育さえ許さず、41年北海道綴方(つづりかた)教育連盟への弾圧に次いでこれらの教師たちを弾圧しました。これが「生活図画事件」といわれるものです。 熊田は「リアリズムの図画を通してその時代の現実を正しく反映させなければならない」として「美術とは何か」「美術は人間に何をもたらすか」を学生に討論させ、工場などで働く人びとを描かせました。 上野は、31~35年に続いた大凶作の現実に生徒の目を向けさせ、「凶作地の人たち