エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント2件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
負傷の友 壕に残した/「ひめゆり学徒隊」の戦跡めぐり/沖縄
(写真)伊原第一外科壕(ごう)跡の碑の前で、戦争の悲惨さについて語る元ひめゆり学徒の島袋淑子さん... (写真)伊原第一外科壕(ごう)跡の碑の前で、戦争の悲惨さについて語る元ひめゆり学徒の島袋淑子さん(中央)ら=11日午後、沖縄県糸満市伊原(代表撮影) 太平洋戦争末期の沖縄戦で沖縄陸軍病院に看護要員として動員された「ひめゆり学徒隊」の足跡をたどる戦跡めぐりが11日、沖縄県で開かれました。ひめゆり平和祈念資料館が主催し、64人が参加しました。20年ぶりの企画で、85歳以上の8人の元学徒がバスの中や壕(ごう)の前で証言に立ちました。 暗い壕の中で 戦跡めぐりは、生徒らが通っていた沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校があった那覇市安里(あさと)からバスに乗り、沖縄陸軍病院や糸数アブチラガマ、ひめゆりの塔、伊原第一外科壕、解散命令後に追い詰められた荒崎海岸を回りました。 那覇市南東5キロの南風原(はえばる)町にあった沖縄陸軍病院。学徒たちは暗い壕の中で昼夜を分かたず働き続けました。師範本科2年だっ
2015/07/20 リンク