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「唯一の好機」、92年の日露領土交渉/「秘密提案」書かずに悔恨残る | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)
取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載していま... 取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 安倍晋三首相が悲願とした北方領土問題の解決は、首相の病気退陣により最終的に破綻した。安倍政権は戦後最もロシアに友好的な政権だったが、ロシアには通用しなかった。最後は「領土割譲禁止」を含む憲法改正という強烈なしっぺ返しを受けた。 「私とウラジーミルの手で必ず平和条約を締結する」などと期待をあおった首相の責任は重いが、交渉が難航した最大の理由はプーチン政権がすっかり国粋主義外交に転換したことにあろう。 ◆冷戦後、領土割譲容認の動きが 筆者は、ソ連による北方領土占拠後の75年間で、日本が3島以上を獲得する形で領土問題を解決できた機会は、1992年の一時期しかなかったとみている。91年末にソ連邦が崩壊し、新生ロシアがスターリン外交を否定し、北大西洋条約機構(NATO)加盟まで検討していたあの時期
2023/11/19 リンク