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明治期にチベット入りした探検家、矢島保治郎(群馬・伊勢崎市出身)の足跡に光 谷川岳山岳資料館が企画展 | 上毛新聞社のニュースサイト
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明治期にチベット入りした探検家、矢島保治郎(群馬・伊勢崎市出身)の足跡に光 谷川岳山岳資料館が企画展 | 上毛新聞社のニュースサイト
外国人として明治後期に初めて中国四川省を通り、チベットに入った群馬県伊勢崎市出身の探検家、矢島保... 外国人として明治後期に初めて中国四川省を通り、チベットに入った群馬県伊勢崎市出身の探検家、矢島保治郎の足跡を振り返る企画展が1日、みなかみ町の谷川岳山岳資料館で始まった。今年は保治郎の没後60年に当たり、関係者から写真や書簡などの資料を借りて企画展を開いた。8月31日まで。 エベレスト登頂などを果たした同館の八木原圀明館長(76)=前橋市=が、ヒマラヤ登山に情熱を傾けていた40年ほど前に上毛新聞の記事で保治郎を知った。「自分と同じような冒険心あふれる人」と興味を抱き、資料を収集してきた。 保治郎は生涯で2度、チベット入りし計約6年半滞在した。チベット仏教の最高指導者、ダライラマ13世に信頼され軍事面の指導をしたとされる。現地の女性、ノブラーと結婚。長男の意志信(いしのぶ)を授かった。3人で帰国後は前橋で暮らした。 会場には、軍装の保治郎や意志信を抱くノブラーと保治郎といった写真約30点と、