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秀吉から「材木1000本調達を」 配下の武将へ、天下人への勢い伝わる朱印状 たつので発見
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羽柴秀吉が脇坂安治に送った朱印状(手前)。同時に展示する「賤ケ岳七本槍」の絵巻には秀吉と安治が描... 羽柴秀吉が脇坂安治に送った朱印状(手前)。同時に展示する「賤ケ岳七本槍」の絵巻には秀吉と安治が描かれている=たつの市龍野町上霞城、龍野歴史文化資料館 織田信長の死後、後継者争いのさなかに羽柴(豊臣)秀吉が配下の脇坂安治に送った朱印状が、兵庫県たつの市内の旧家から見つかった。秀吉は朱印状で、伊賀国(現在の三重県北西部)の山城を増強するため、大量の材木の調達を命じている。同市教育委員会は「秀吉の築城工事のスピード感が伝わる貴重な資料」と評価する。 子孫が龍野藩主となる安治は「賤ケ岳七本槍」と称された秀吉子飼いの武将。朱印状は昭和初期に脇坂家から旧家に譲り渡されたとみられ、市教委が昨年から調査してきた。 市教委によると、朱印状で連名になった武将や内容から、1584(天正12)年8月に書かれたとみられる。安治は当時、信長の次男で、敵対していた織田信雄側の伊賀上野城を攻め落とし、秀吉は近くの山城の守