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韓国語史研究にたどりつくまで │ 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科
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韓国語史研究にたどりつくまで │ 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科
私は1976年に理Iに入学しましたが、進学振り分けで文学部言語学科を選びました。まず、それまでの経緯を... 私は1976年に理Iに入学しましたが、進学振り分けで文学部言語学科を選びました。まず、それまでの経緯を書いてみます。私は岐阜県飛騨地方の小さな町で生まれ育ち、高校は高山市にある県立斐太高校に通いました。毎朝、6時半に家を出て、駅まで自転車をぶっとばして汽車に乗り、ちょうど1時間鈍行にゆられて、高山駅でまた自転車置屋に預けてある自転車に乗って通学するという生活を3年間続けました。冬はどんな雪道でも自転車でかき分け、吐く息は髪の両側で白く凍り付くこともありました。自分の人生の中でも最も勤勉な時期でした。理Iを受けた理由は、高校時代に物理学の啓蒙書を読んで憧れたり、また担任の数学の先生に教育熱心な方がいたかもしれません。しかし、その当時でも数学はそれなりに勉強したわりにはあまりできず、むしろ英語や国語のほうが得意だったような気がします。そのことは後に文学部に進学したことと関係があるかもしれません