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契沖と円珠庵 -契沖300回忌によせて-
契沖は、学徳の高い真言宗の僧侶であり、かつ万葉集を中心とする古典の注釈、ならびに歴史的仮名遣の研... 契沖は、学徳の高い真言宗の僧侶であり、かつ万葉集を中心とする古典の注釈、ならびに歴史的仮名遣の研究において画期的な業績を残した古典学者である。 中世の伝統的な学問のあり方とは違い、古書を証するには古書を以てする実証的文献学的方法を採り、古典研究に新風を開き、『万葉代匠記』という大著を成した。 契沖の生涯 契沖は、寛永17年(1640)尼ケ崎にうまれた。 11歳で当時は大阪の郊外にあった今里の妙法寺に入り、13歳の時に剃髪して、高野山に上った。ここで10年間仏教を学び、23歳で大阪生玉の曼陀羅院の住職となった。 しかし、数年を経ずに曼陀羅院を去り、諸国修行の旅に出た。 30歳のころに、和泉の国に移り住み、最初の5年間は久井村の辻森家に滞在し、仏典や漢籍に親しみ、その後南池田村万町の伏屋長左衛門方に移り、その邸内に養寿庵という小庵を建ててもらってそこに住み、和漢書の研究に精励した。 39歳の4