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【 平泉 】<夏草や兵どもが夢の跡><五月雨の降のこしてや光堂>
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【 平泉 】<夏草や兵どもが夢の跡><五月雨の降のこしてや光堂>
中尊寺の金色堂覆堂(国重要文化財)と芭蕉像。覆堂は、金色堂を覆い保護する建物で、増改築を経て室町... 中尊寺の金色堂覆堂(国重要文化財)と芭蕉像。覆堂は、金色堂を覆い保護する建物で、増改築を経て室町時代中期(16世紀)に現在の形になったとされる。写真の覆堂は1963(昭和38)年まで金色堂を覆っていたが、現在の新覆堂建設に伴い移築された 塩釜、松島と、海沿いを東に来た松尾芭蕉たちは、石巻から一転、北上し内陸へ向かった。目指したのは平泉(岩手県平泉町)だった。 平泉は12世紀、奥州藤原氏が居を構えた「古都」である。人口は10万人とも。藤原清衡が造営に力を注いだ中尊寺や、基衡、秀衡が多くの伽藍(がらん)を造営した毛越寺(もうつうじ)に象徴される華やかな仏教文化が花開いた。 同時に悲劇の舞台でもある。1189(文治5)年、都は源頼朝率いる鎌倉勢に攻められ燃え落ちた。兄頼朝と敵対し、この地でかくまわれていた源義経も同年、自刃した。その平泉に芭蕉と河合曽良がたどり着いたのは1689(元禄2)年5月1