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峰尾節堂師百回忌を迎えるにあたっての総長談話 | お知らせ | 宗派声明 | 妙心寺
峰尾節堂師は大正8年3月6日、千葉刑務所で35歳の若さで病死されました。今年が百回忌という大切な節目に... 峰尾節堂師は大正8年3月6日、千葉刑務所で35歳の若さで病死されました。今年が百回忌という大切な節目に当たっております。 師は、明治42年1月、大石誠之助氏宅で幸徳秋水氏が語ったとされる話を、ただ聞いたという理由だけで『大逆事件』に連座させられ、明治44年1月18日、死刑判決を受けます。そして翌日恩赦によって無期懲役に減刑されますが、8年間もの服役の後、獄死することになります。 『大逆事件』は、言うまでもなく、国家による思想弾圧事件として、多くの人たちが無実の罪で死刑や無期懲役となった国家的な謀略事件です。節堂師は漢学に親しみ、俳句に巧みな読書家で、普通の悩める若い僧侶でしたが、彼もその事件の犠牲となった一人なのです。 当時の妙心寺派教団は、節堂師が拘引されて間もなく、まだ判決が出る以前の明治43年11月14日付けで師を「擯斥」(僧籍剥奪)に処しています。当時の仏教界を取り巻くさまざまな事
2019/04/14 リンク