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原田伊織氏「明治維新の“尊皇攘夷”は方便でしかなかった」
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原田伊織氏「明治維新の“尊皇攘夷”は方便でしかなかった」
明治維新が素晴らしいものであるとの“常識”に疑義を呈したのは『明治維新という過ち』の著者で作家の原... 明治維新が素晴らしいものであるとの“常識”に疑義を呈したのは『明治維新という過ち』の著者で作家の原田伊織氏だ。氏は明治維新がその後の軍部の台頭を招き、また「官軍史観」が現代社会を歪めていると指摘する。 * * * 多くの日本人は、「明治維新=無条件の正義」であり、この“偉業”がなければ封建的な日本は近代化を果たせず、西洋列強の植民地になっていたと信じている。だが歴史の実相は異なる。明治維新とは長州藩、薩摩藩の下級武士が主導した軍事クーデターに過ぎず、政権を強奪した薩長は「勝てば官軍」とばかりに歴史を書き上げた。我々が習うのはその「官軍の書いた歴史」である。 公教育を通じて、勝者の歴史物語を国民に刷り込ませるのは世界各国に共通する現象であり、ことさら批判する気はないが、官軍史観は現代に多くの「目に見えない歪み」をもたらしている。150年前の出来事によって我々は何が見えなくなったのか。その呪縛