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芸術は倫理や政治とは別のもの 本居宣長に学ぶ「表現の自由」
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芸術は倫理や政治とは別のもの 本居宣長に学ぶ「表現の自由」
芸術、すなわち表現行為、表現作品も、これと同じである。芸術は倫理や政治とは別のものなのだ。このこ... 芸術、すなわち表現行為、表現作品も、これと同じである。芸術は倫理や政治とは別のものなのだ。このことを早くに指摘したのは本居宣長である。宣長の最初期の著作に『排蘆小船(あしわけおぶね)』がある。これは歌論つまり文学論だ。その冒頭にこうある。 まず対論者が問う。 「歌は天下の政道をたすくる道也」、よって単なる娯楽と思うべきではない。どうだろうか。 宣長が答える。 「非也(ちがう)。歌の本体(本質)、政治をたすくるためにもあらず、身をおさむる(人格修養する)ためにもあらず。ただ心に思う事を言うほかなし」 歌・文学・芸術は政治や道徳のためにあるわけではない。 「(歌の中には)政のたすけとなる歌もあるべし。身のいましめとなる歌もあるべし。また国家の害ともなるべし。身のわざわいともなるべし」 歌の中には、確かに政治のためになるものもあるし、教訓となるものもある。さらに「国家の害」となるものもある。ろく