![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/bfbe50d2856580c2958c22beec8f51bbaa227a28/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fc799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp%2Fimg%2Farticle%2F000%2F212%2F705%2Fd3db260156842dceae52c0877986091e20170901125329393.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「する」でも「される」でもない中動態|本の森
表題にある「中動態」とは、かつてのインド=ヨーロッパ語族に存在していた「態」で、能動態と共に動詞... 表題にある「中動態」とは、かつてのインド=ヨーロッパ語族に存在していた「態」で、能動態と共に動詞体系を形成していたが、ある時期以降受動態に取って代わられ、現在は使用されていない――と書いても何のことやら分からないだろうが、とりあえずは、能動態の「する」と受動態の「される」のどちらでもない中動態というものがあったということを知っておけばいい。 本書の冒頭には、アルコールや薬物などの依存症における意志と責任の問題に関わる短い対話が置かれ、最後に、同じ日本語を話しているのに、依存者側とそうでない人とでは相いれない2つの言葉が存在するように思えてしまう、それは何なのか、という問題提起がなされる。 そして第1の扉を開けると、いきなり「私が何ごとかをなす」とはいったいどういうことなのかという問いを突きつけられる。ここから意志と行為の問題、意志と責任の問題が哲学的に語られていく。むろん、とっつきやすいも