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「ちんすこう」を沖縄で名乗れなくなる…47年前の危機を救った弁理士 復帰後に広がった知的財産を守る意識 | 沖縄タイムス+プラス
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「ちんすこう」を沖縄で名乗れなくなる…47年前の危機を救った弁理士 復帰後に広がった知的財産を守る意識 | 沖縄タイムス+プラス
日本復帰前、沖縄は本土の法が及ばなかった。法の専門家も乏しかった。その沖縄を東京から思い、半世紀... 日本復帰前、沖縄は本土の法が及ばなかった。法の専門家も乏しかった。その沖縄を東京から思い、半世紀をささげた弁理士がいる。両親が沖縄出身で、台湾で生まれた新垣盛克さん(93)。県外企業による「ちんすこう」の商標登録を阻止するなど、沖縄の事件を数多く手がけてきた。来年、引退する。(社会部・棚橋咲月) 1929年生まれ。海軍の兵士として赴任した鹿児島で終戦を迎えた。高校の夜間部を卒業し、19歳で中央大に入学と同時に東京高裁で働き始めた。書記官だった62年、商標出願の代理などを担う知的財産の専門家である弁理士試験に合格した。5年後、事務所を東京に構えた。 ■本土の企業が商標を出願 新垣さんの名が沖縄で知られるようになったのが、復帰3年後の75年に起きた「ちんすこう事件」だ。 「これは何だろう」。東京の事務所で特許庁の「商標公報」を事務所で見ていた新垣さんは、聞き覚えのある言葉に目を留めた。出願が認