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島根県:日本側作製地図にみる竹島(トップ / 県政・統計 / 県情報・統計 / 竹島関係 / Web竹島問題研究所 / 調査研究 / 研究スタッフ、研究協力員からの報告)
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島根県:日本側作製地図にみる竹島(トップ / 県政・統計 / 県情報・統計 / 竹島関係 / Web竹島問題研究所 / 調査研究 / 研究スタッフ、研究協力員からの報告)
今回は、保坂祐二世宗大学校教授の「日本古地図が証明する韓国の独島領有権」をもとに、日本側作製地図... 今回は、保坂祐二世宗大学校教授の「日本古地図が証明する韓国の独島領有権」をもとに、日本側作製地図を検討します。保坂氏は江戸時代の絵図として、「嘉永新増大日本国郡輿地全図」(1849年)、「校正大日本輿地全図」(江戸時代後期)、「改正日本輿地路程全図」(1779年)の3点を挙げています。まず保坂氏の分析を引用します。 地図1:「嘉永新増大日本国郡輿地全図」(1849年) →この地図は1849年に高柴英三雄が作成した地図だ。地図を見れば隠岐島はあっても独島は抜けている。当時は北海道はまだ未開地だったし、沖縄は独立した琉球国だったので下のような地図を作成する時は江戸幕府の許可が必要だったので、このような地図はすべて官製、官許の地図だった。 高柴英三雄は江戸飯倉町四丁目にいた人で、この地図は嘉永2年(1849年)江戸南伝馬町一丁目の書肆蔦屋吉蔵が出版した日本図です。「高柴三雄」という名前で、「嘉永