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【新聞に喝!】ブロック塀倒壊で思い起こす、市外高校への進学を認めなかった「高槻方式」 京大霊長類研教授・正高信男
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【新聞に喝!】ブロック塀倒壊で思い起こす、市外高校への進学を認めなかった「高槻方式」 京大霊長類研教授・正高信男
大阪府北部を震源とする先月の地震で高槻市の小学校のブロック塀が倒壊し、下敷きになった女児が亡くな... 大阪府北部を震源とする先月の地震で高槻市の小学校のブロック塀が倒壊し、下敷きになった女児が亡くなるという痛ましい出来事があった。一連の報道に接しているうちに、同市に関して経験した古い記憶がよみがえってきた。 学生だった昭和50年ごろの数年間、高槻市に近い吹田市の進学塾で、中学3年生を相手に高校受験指導のアルバイトをした。それなりに名の通った塾で大阪府北部の各地から成績優秀な生徒も集まっていた。そこで入学願書を出す時期になるときまって、高槻市から来ている生徒の表情がさえないのだ。 聞くと、高槻市外の進学校を志願したくても先生が認めてくれないのだという。その時に「高槻方式」という言葉があることを知った。 高槻方式とは、市内の中学生には市内の公立高校に進学することを強く推奨するという公立中学で行われていた進路指導である。当時の大阪府の学区制では淀川以北の広い地域にある公立高校から志望校を選べたの