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【戦後70年 高度成長の軌跡(1)】カローラ開発秘話、「打倒サニー」へ渾身のエンジン変更、33年国内首位の怪物生む(1/6ページ)
【戦後70年 高度成長の軌跡(1)】カローラ開発秘話、「打倒サニー」へ渾身のエンジン変更、33年... 【戦後70年 高度成長の軌跡(1)】カローラ開発秘話、「打倒サニー」へ渾身のエンジン変更、33年国内首位の怪物生む 昭和41年3月、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)技術管理部主査付だった佐々木紫郎(89)=現顧問=は、上司の長谷川龍雄(故人)にこう告げられた。 「排気量は1100ccに決まったぞ」 開発中の新型車の発売予定は11月。すでに8カ月を切った時期での排気量変更に佐々木は驚いた。「コンピューターもなく手書きで図面を書いていた時代。今だから言えるが、常識では考えられないことだった」と佐々木は打ち明ける。 長谷川の指揮の下、佐々木たちが開発を進めていた新型車こそ、日本を代表する大衆車、初代「カローラ」だ。3年後の44年から33年間、国内販売首位を維持し、日本のモータリゼーションを牽引(けんいん)した名車は、高度成長を迎える日本と同様に、がむしゃらなバイタリティーの中で生まれた。 土壇
2015/08/21 リンク