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スイス公使の謎の電報、米英方針確認? 終戦決断、根拠の一つか(1/4ページ)
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スイス公使の謎の電報、米英方針確認? 終戦決断、根拠の一つか(1/4ページ)
「軽井沢爆撃するな」=国体護持の見方 長野県軽井沢町に疎開していたカミーユ・ゴルジェ公使をはじめ... 「軽井沢爆撃するな」=国体護持の見方 長野県軽井沢町に疎開していたカミーユ・ゴルジェ公使をはじめ、スイスの外交当局が2カ月弱の間に19通も「イミュニテ カルイザワ」(軽井沢を爆撃しないでほしい)という謎の電報を交換したことが15日、明らかになった。中立国スイスが仲介役として米英から国体護持(天皇制維持)ができることを聞き出して日本側に伝え、昭和天皇が確信をもって終戦決断の根拠の一つとした可能性もある。(編集委員 岡部伸) ◇ 戦時中、軽井沢町の「深山荘」に疎開したスイス公使館は外交団の中心で、連合国と交戦状態にあった日本はスイスを通じて交渉。スイスは日本で米英豪などの利益代表を務める一方、こうした国々では日本の利益代表を務めた。開戦で双方の国に取り残された民間人の交換交渉や捕虜の問題も話し合った。 ゴルジェ公使が最初に「イミュニテ カルイザワ」との電報を本国に送ったのは昭和20年6月8日。