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【戦後70年】東京裁判で処刑された唯一の文官、広田弘毅元首相の孫・弘太郎さん語る 「評価は歴史がする」
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【戦後70年】東京裁判で処刑された唯一の文官、広田弘毅元首相の孫・弘太郎さん語る 「評価は歴史がする」
先の大戦から70年にあたる平成27年が暮れようとしている。東京裁判(極東国際軍事裁判)でA級戦犯... 先の大戦から70年にあたる平成27年が暮れようとしている。東京裁判(極東国際軍事裁判)でA級戦犯として処刑された唯一の文官である広田弘毅元首相。その孫の弘太郎さん(77)が、祖父や家族の思い出を語った。 「評価は歴史がする。それが家訓」「子供のころから父母や親戚に『おじいさんは立派な人だった。おまえもああいう人を目指しなさい』と教えられた。『顔が似てる』と言われています」 弘太郎さんは、銀行員だった父、弘雄さんの仕事の関係で幼少期を中国で過ごした。一時帰国した際に祖父に数度会ったが、その時のことは覚えていない。 唯一の思い出は昭和23年11月29日、小学4年生の時のこと。同月12日に絞首刑を宣告された祖父と東京・巣鴨拘置所でガラス越しに面会した。事前に父に「おじいさんに会えるのは今日が最後だよ。なるべく覚えておくようにしなさい」と言われた。祖父は目を細めて「ちゃんと勉強して、しっかり暮らし