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【文芸時評】「近代の終わり」という大きな物語 8月号 早稲田大学教授・石原千秋(2/3ページ)
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【文芸時評】「近代の終わり」という大きな物語 8月号 早稲田大学教授・石原千秋(2/3ページ)
「ポスト・トゥルースの時代」などと言うが、また「ファクト・チェック」が可能であるかのように言う人... 「ポスト・トゥルースの時代」などと言うが、また「ファクト・チェック」が可能であるかのように言う人もいるが、ではこれまでの歴史の中で「トゥルースの時代」などあったのだろうか。「ポスト・トゥルースの時代」というネーミングは、「トゥルースの時代」があったかのように信じ込ませる。むしろ、その方がよほど恐ろしいことだと思う。その意味において、「ポスト・トゥルースの時代」という現状認識は、反動的ではないだろうか。「ポスト・トゥルース時代」というネーミングはその反動性を覆い隠す。もちろん、東はそんなことは十分にわかっている。先の引用部に続けて、「いまこそポストモダン的な問題意識が重要だと見ることもできる」と付け加えているのだから。「ポスト・トゥルースの時代」と言うが、そういう時代こそ「真実」などないという立場が重要だと言っているのである。 思い起こせば、「近代の終わりという大きな物語」は、「近代を問い直