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【神武・海道東征 第2部】大和思慕(4)出港の地に選んだ「造船の里」(1/3ページ)
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【神武・海道東征 第2部】大和思慕(4)出港の地に選んだ「造船の里」(1/3ページ)
〈美々津(みみつ)千軒〉 大正12(1923)年に国鉄日豊線が開通して衰退するまで、そう呼ばれ、京... 〈美々津(みみつ)千軒〉 大正12(1923)年に国鉄日豊線が開通して衰退するまで、そう呼ばれ、京風の町家が軒を連ねて栄えた美々津港(宮崎県日向市)。高千穂宮をたったカムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)が船出したとされる港はここである。 「神武天皇が船出された港として御津(みつ)と呼び、それが美々津と転訛した。地元ではそう伝え、お船出の物語を語り継いでいます」 美々津で生まれ育った郷土史家、黒木和政氏はそう話す。同港は、流域面積が宮崎県の森林面積の25%もある耳川の河口にある。江戸時代には林産物の集積地として、瀬戸内や大坂(大阪)との間を行き交う千石船がひしめいていた。美々津千軒は、その当時の繁栄をしのばせる町並みで、昭和61(1986)年には、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。 〈港はふけーし大けな木はようけあり、慣れちょるでくどん(船大工)やかこ(水夫)がぎょうさんい