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第十四期チベット人代表者会議第十一回常会に際して ダライ・ラマ法王勅書 | ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
既にご存知のとおり、紀元前2世紀のチベット初代王ニャティツェンポから九世紀の支配者ティレルパチェン... 既にご存知のとおり、紀元前2世紀のチベット初代王ニャティツェンポから九世紀の支配者ティレルパチェンまでの千年間、42代にわたりチベットの王朝は、「三つのチョルカ」というチベット全体の支配者でした。「チベット王国」は東方の中央アジアにおいて軍事的に支配力のある大国であり、インド、モンゴル、チベットと三国が並び称されるような大国のひとつでした。高度に発達したチベットの口語、文語、そして文法をはじめとして、その宗教と文化、社会の発達はさまざまな点でインドの流れを汲むものでした。九世紀にチベットの王朝が分裂した後はその統率力が失われ、その後、各地域で個々に統治されたものの、チベット全土に及ぶ政治が執行されることはありませんでした。だからこそ、13世紀にチンギスカン率いるモンゴルの軍事力により、中国だけではなくチベットも全地域が完全にその配下へと入ることとなったのです。1260年、ドゴン・チョーゲル
2011/06/14 リンク