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<考える広場>寺山修司が遺したものは?:東京新聞 TOKYO Web
俳句、短歌、詩、そして演劇と、さまざまな分野で才能を発揮した寺山修司が47歳で世を去って40年。... 俳句、短歌、詩、そして演劇と、さまざまな分野で才能を発揮した寺山修司が47歳で世を去って40年。「私が忘れた歌を/だれかが思い出して歌うだろう/私が捨てた言葉は/きっとだれかが生かして使うのだ」という詩句を遺(のこ)した彼の表現活動が、どんな影響を与えているのだろう。 <寺山修司> 1935年、青森県弘前市生まれ。中学時代から学校新聞などに俳句や詩を発表。57年、第1作品集「われに五月を」を発表。59年ごろから谷川俊太郎氏の勧めもあり、ラジオドラマを手掛ける。60年、戯曲「血は立ったまま眠っている」が劇団四季で上演される。67年に「演劇実験室」と称し「天井桟敷」を設立。「田園に死す」「さらば箱舟」などで映画監督を務める。ユニークな人物が登場する競馬エッセーも人気を呼ぶ。83年5月4日死去。
2023/04/11 リンク